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逆行日記<第3話>

〜I love Debussy!〜

ドビュッシー(1862〜1918/フランス)の音楽にふれたのは・・・定かではないけれど、小学5〜6年生の頃と記憶しています。

当時高校生だった兄が、数年間埃をかぶっていたレコードを持ち出して、
「この曲は、朝、昼、夜のどれを想わせるか?」
と問いかけ、プレイヤーの針を落としました。
レコードは、子ども学習百科の音楽教材でした。
盤は波打ちながら、プチプチと耳障りな音をたてるので、真剣にクイズに取り組もうと耳をすましている私は、幾らか気を散らしながら、とにかく集中しようと努めていました。

雑音の中からあらわれた、くぐもった旋律は、ゆったりとしたリズムを保ちつつ、研ぎ澄まされた音色に変わり、まず、ほの暗い森がイメージできました。
展開部、軽快で透明なハープの音は、針葉樹の天辺から風に乗って降り立つ様や泉をたゆたい、やがては流れに任せて川を下る様を想わせました。
メロディは暗い森へと戻り、やわらかな光が林を包み込み、微かに終止符が打たれました。

昼の曲じゃないことは確か。
夜か朝か夜か朝か夜か朝か夜か朝か?

「朝(明けの明星)に違いない。」とひねりを入れた私!
「ブゥーーッ!!夜なのダ〜」と兄
「そう思ったんだけど・・・くやし〜ぃ!」今現在でもね(笑)

クイズはいったい何の曲だったと思います?
ドビュッシーの最もポピュラーな名曲『月の光』(但しオーケストラ・バージョン)でした。

なんでも、兄の高校の下校時間に流れていた曲ですって。
子ども心に御もっともと思いましたね。
ちなみに私の学舎、第八小学校では『グリーンスリーブス』。
これもうるうるくる珠玉の曲ですね。
私はクラスメイトにまんまと担がれて、いい歳になるまで、このおセンチな曲のタイトルが『小学生の一日』であると特に疑うこともなく、信じていました(笑)
子どもをテーマに、こんな奥行きのある曲をかくなんて、粋だ!と尊敬していましたのに・・・


今回の逆行はここまでです。
上記を前置きとしまして、現在進行形で話を進めてまいります。



ドビュッシーとの出合いから、はや20余年・・・
これ程長く、揺るぎなくファンでいられるとは幸せです。
人は大抵、年令や環境に応じて趣味嗜好を変えていきますね。
私も例外ではありませんが、この巨匠は唯一無二の存在。
音楽はもちろん、あらゆる創造的な分野を含めて、筆頭、ドビュッシーのファンであると断言します。(笑)

もし同志が現れたら初対面であろうと「あなたはもう親友だ」とか何とか言って握手を求めてしまうでしょう。
そして「連弾しよう」と指を掴んだまま、ぐっと引っ張ってピアノの前にいざない、椅子を引き、クッションの2分の1を勧めてこっつんこして座り、「さあ鍵盤で語ろう!」って私はあぶないひと?

そんな調子で一週間のうち4日間はまずドビュッシーの音楽でご機嫌です。
日の高いうちは快活なピアノ曲や歌曲。
たそがれ時は『牧神の午後への前奏曲』を初めとするオーケストラ。
夜はもちろん室内楽を聴き、明朝のためにピアノ曲をセットして休みます。
どうです?この徹底ぶり!
後2日間はバッハ。昔は管弦楽曲をよく聴いていましたが、人形制作に復帰してからは専ら『マタイ受難曲』がお気に入り。
これはおすすめ!荘厳であたたかい、美しい音楽です。
以前、和訳付きのTV放映があり、妙に感激したことがあります。
小澤征爾指揮、バリトン歌手は小児のように背の低い男性で(但し顔は迫力満点)ひときわ太くバネのある美声を全身全霊で披露していました。
この時ばかりは人が成せる業以上のもの、『神の声』をきいた(みた?)様でうるるるる。
普段は歌詞がわからないので、いいんですけれどね。私の場合。
残り1日はCDに埃がかぶらないようにルネサンスから1930年辺までの音楽をその日の気分で流し聞きします。
・・・本当にこんな日課をこなせたらギャグですね〜

実際は、教室では仕事がはかどるように、なるべくリズミカルで乗りのいい曲を選んでいます。J-Waveが無難です。
一旦ONすると、そのまま1〜2週間平気で聴いています。
こんな話を書き列ねながら、私は年々、音への執着が衰えて、最近は空調の音と仲良しです。音楽が無いことに気がついて、コンポの電源を入れる時は大抵仕事に気乗りしないときです。
どちらの様も、人に見られたくありませんねぇ。

ドビュッシーを話題にすると、つい熱くなってページが嵩みそうです。
氏の名前は聞いたことがあっても、曲が浮かばないという人がいかに多いか想像がつくので、あまり引きずると逆行日記を開いてもらえなくなりそうですね・・・少数派はつらいつらい。
まとまり無いけれど、今回はいい加減にこの辺で。

次回は氏のおすすめの曲や、生家を訪ねた話を書きますね。
なんとか宜しくおつき合い下さい。


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