imago


[1つ前の日記] [過去の日記一覧]



ゴミ扱い

2006/11/13

引越し騒動でストレスが溜まってきた。
(雰囲気の良い茶店で美味しいケーキが食べたいのう・・・)

まだ転居先は決まっていない。
それが火種になっているのだが、私が今情緒を掻き乱しているのは、既に終止符が打たれた事件に対してだ。

引越しに際してまず大変なのが荷物の整理。
不要の石膏モールド等は叩き割って処分せよ、なんて仕事の内容を知らない親のお節介な言動と戦っていた時、妙な含みを感じ取った。訝し気に聞き返すと、ここ数カ月の間に、敢えて私の断りなしに、学生時代のデッサンや油絵、立体作品などをことごとく”叩き割って”処分したと平然と言うのだった!
開いた口が塞がらなかった。

確かに傑作と思えるものはなかっただろう。
でもその時代、その年齢で稚拙ながらも懸命に取り組んだものだった。中高校の美術の課題でちょっと自慢だった木彫の小物入れ。予備校で勢いに乗って描いたラフスケッチ。
学部時代の後半では自分の顔や手を石膏取りして半立体のコラージュに凝っていた。自分はもちろん美人ではないが、それでも二十歳のライフマスクはいい記念碑になるな~と甘い妄想をした事もあった。時には数カ月、中には何年間も大真面目で向き合っていた。その殆ど全てが壊され、ゴミに出されたのだった。 無念!

倉庫の奥に眠るものは必要のないもの。過去を振り返っては前進できない。本来は所帯を築いて持ち去るべきもの。 だと。
そんな訓示が今さら私に通じると? 通じないから強行手段に出たわけか。両親共に取り返しが付かない事をしたという自覚がまるでないのが何とも悲しい。

因に私の青い作品群と一緒に倉庫に眠っていた洗面器やバケツ、使い古したカラーボックスはきちんと解体されて紐で結ばれ、現在、玄関やリビングに積まれて今後の収納場所を検討されている。
それに対し、私がつくったものは実用性がなく、場所ばかり取るので無価値の烙印を押されたのだった。
気分転換に家のぐるりを回ってみたら、中学時代に板に彫ったペガサスが放り出されていた。半分に欠けてニスは剥げ、土まみれになっていた。剪定した庭木を燃すための薪代わりに使われていたらしい。

子孝行の両親だと常々(心の中だけで)感謝しているが
物をつくったり、鑑賞したりの趣味は全く無い人たちだ。
涙を見せたところでその真意を理解してもらえる事は今後もないだろう。
寂しいがそれが現実だ。







[1つ前の日記] [過去の日記一覧]


戻る