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健康第一

2006/07/31

先々週から異例のハプニングが続いた。
それは喉のイガイガから始まった。だるくはないし熱がある訳でもなかったが、風邪かと思い、ビタミン剤を飲んだ。だが喉の異物感は増すばかり。腫れているみたいで呼吸しづらく寝苦しい。カガミに向かって”あ~ん”すると、奥の喉仏とその周辺が生クリームの様な白い物体と斑紋に侵されていてギョッとした。
「ついに来たか」と(意味不明?)慌てて近所の耳鼻咽喉科に行ったところ、普段から空気中や体内にいる菌類による炎症らしいのだが、免疫や抵抗力が落ちた高齢者が発症しやすく、私の場合はその典型的な症状とも言えないらしく、お医者様は大いに不安がらせてくれた。
教室展、旅行と半年余り不規則でハードな生活を送って来たけれど、最近睡眠はきちんととっていたし、何故今このような奇病にかかったのか?  
~で、出された処方せんを飲んだが即効性は無く、これ以上喉が腫れて気道が塞がることの恐怖心から、安静を余儀なくされ、土曜日の教室を休む事にした。それが効を成して徐々に快方に向かったかのようだったが・・・水曜日の教室で救急車に乗ってしまった。
一口、口にしたランチが喉に詰かえて、く、苦し~。 暫く深呼吸をしながら冷静に食道に落ちるのを待った。そしてこれでもかとお茶を飲んだら、余計に胸がギュンと痛んで、自分の呼吸や声が割れて響くようになり、これはヤバかろうと、私の中の赤信号の点滅を点灯に切り替えた。
救急車、よ、ん、で~~。 そこに電話が追い打ちにかかる。(目の前だったので受話機を取る)・・・あと、に、し、て~~。ガチャン=☆

その後、教室のAさんに背中をさすってもらってパニックから解放された。ピンチの時、人の手のぬくもりがこれほど救いになるとは!  救急車が到着した時、大げさな自分を恥じながら、またパニックになるのを怖れて、救急病院に運んでもらった。教室の皆に見送られているのがわかっても、車内から手を振る事は憚られた。

そうして隣町の総合病院に送られた。ERで患部を採取し、レントゲンを撮った。説明を受けながら不謹慎にも自分の頚椎の曲線美に感動してしまった。

処方せんはこれまでに3回替えられているが、今、飲むのをやめてしまっている。私の場合、悪さしている病原よりも、薬による副作用の方がきついのだ。 治療のためには当然薬を飲まねばならないが、続けて飲むと胸焼けしたり、粘膜が荒れてヒリヒリと痛み出す。
「ご飯を喉に詰まらせて救急車のお世話になる」のはまだ40~50年早いだろう。
こうなったのは、症状の緩和が無いままに飲み慣れない薬物に拒否反応を起し、神経過敏になっていた自分自身に気が動転したわけで、恥じる事は無いのだー。と言い訳してみる。
 そんなこんなで喉の炎症は燻ったまま、なかなか完治しないのだけど、窒息の不安と恐れは遠のいた。
教室はドタキャンでお仕事にならず、皆には迷惑をかけるし、誘っていただいた歌舞伎「玉三郎の天守物語」は観に行けなかったし、自由業は本当に、切実に体が資本です! そして弱気の時って家族が神のようにありがたい存在になるんだな(と周りの患者を見て悟る)。健康維持にかつて無い危機感を持ちましたとも。
自分の立場をいろいろと思い知らされた2週間でした。


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